ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

先日、ヨガの先生たちが椎茸狩りにやってきた。

採取したあと、部屋でお茶にした。
いろんな話題の中でヤマ、ニヤマの話しになった。

いつだったかテレビを見ていると中東の砂漠で生活するベドゥインの
映像が流れていた。砂漠には何もない、水もない、羊しかいない。
このとき思ったのだが、モーゼが十戒を授かったのは数千年前の大昔のこと、
エジプトから紅海を渡って、大勢の避難民と一緒にシナイ半島をひたすら東へ、
不毛の砂漠を何年も何十年も、ハニーミルクの土地は気が遠くなりそうに遠い。

数千年前の食うや食わずの難民の群れの多くは文字も読めないし、だいいち紙もない。
学校や病院はあったのだろうか、定住しなければ畑は作れない、だから野菜も麦もない。
人々は毎日を何とかして食いつなぎ子供を育てて生きていくことで精根尽きたことだろう。


さすらう難民の群れは、互いに盗みあい、嘘をついたり約束破りも多かったのだろう。
そのための諍いはあちこちでの殺し合いになったし、女性を一人にするとどうなったか、
モーゼがシナイの山で授かったという十戒は、そのような場面を想像しなくてはいけない。
そもそも標語とはみんなが守らない事を書いてある。あたり前なら標語にならない。


十戒は戒律、彼らが生活するための必須条件、部族の厳粛なおきて、だった。
6.殺人をしてはいけないこと
7.姦淫をしてはいけないこと
8.盗んではいけないこと
9.偽証してはいけないこと(嘘を言ってはならない)
10.隣人の家をむさぼってはいけないこと
当時の彼らの社会ではこんな事が日常あちこちで起きていた証しなのだ。それを
現在の自分の社会に当てはめるから違和感がおきる。それで、なにか深い意味が
あるのだろうとムリな解釈につとめれば余計にちぐはぐになる。
そのまま解釈すればいい。人を殺すな。他人の女を犯すな。盗むな、と・・


これを守らせるのに絶対の権威が必要だったのだろう。
それで、十戒の初めには神のこと親のこと、それに休みがくるのだ。と思った。
1.主が唯一の神であること
2.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3.神の名を徒らに取り上げてはならないこと
4.安息日を守ること
5.父母を敬うこと


これで、なんだか僕の積年の謎が解けた気がした。十戒は数千年前の野獣のような
人間の群をまとめるに必要なぎりぎりのオキテだった。そりれを現代人が今の自分に
あてはめては戸惑うのが当たり前だ。
現代では当然すぎる基本倫理なのだが、それを人類が実行しない事実も知っている。
誰もが望む事だが実際には現代でも誰にもどこの国にも出来はしない。
宗教の戒律はどれも似ている。それは、むしろ不自然でもあるのだが反論もできない。
だから、数千年も宗教戒律として生きているのだろうと思う。宗教産業の商売道具だ。
ヤマ・ニヤマもこれと似ているが、こちらは後世に宗教が取り入れた後の品目ようだ。


やはり、ヨガは屁理屈ではない、やればいい、のだと思う。
ひたすら、伸ばし、縮めて、開いては閉じ、そしてねじる。只これだけ、
ただし、呼吸を忘れずに・・ 
只管打坐、これはまたむつかしい・・  ただただ、打ち座ればいいのだろう。
呼吸を忘れずに・・
そうすれば人類も地球の一部分だった事を思い出すのだろう。

こんな事を言いたかったのに、伝わらなかったようだ。やはり僕の屁理屈なのだ。