大きな河に出る。松花江という。
凍り付いていた。歩いて対岸まで行けそうだ。 船着場の船も凍って動けない。
面白い形の船があった。 遠くの鉄橋には時おり列車が通る。
河の上でスケートをしている人がいた。 コマを回す人がいた。 凧揚げをしている人もいた。
昼前、タクシーでソフィア大聖堂にいった。旧ロシア時代の建物、レンガで造ってあった。
内部はギリシャ正教の機能はない。当時の写真と土産売り場があった。防寒手袋と帽子を買った。
帝政ロシア時代のハルピンの模型があった。整然とした町並みだったようだ。
1898年早々には、満州はすでに実質上ロシア領となり、1900年には、支那はすでに東三省を
すべて失ったと支那の歴史家が嘆いたらしい。
日本は日露戦争(1904年〜5年)に勝利した後、戦場でロシアから奪った権益は保有したが、
それらの権益が属している地域は、ロシアに強奪された元の支配者に返還した。
もちろん、元の支配者とは満州朝廷のことである。・・と、R・FJohnston 著「紫禁城の黄昏」に書いてある。
この地域にもデパートがいくつもある。食品売り場には色んな品物がたくさんある。
高級でない、デパートに行くとお客さんで賑わっている。 建物の造りもまだ中国の特徴がある。
デパートの最上階でコーヒータイムにした。ずいぶん歩いた。路上とデパート内の気温の差が大きすぎる。
スキューバダイビングの時、深い海から水面に出る時には途中で止まったりして徐々に浮上する。
ベンチタイムというらしい。そうしないと水圧の変化が大きすぎて体調に異変が起きる。
気温の差が大きすぎる場所を頻繁に出入りする時には、温度差に徐々に体を慣らす必要はないのだろうか・・・
大連でもそうだったが、ハルピンでも犬を良く見かける。放し飼いで躾もいいようだ。
中央大街というロシア時代の通りを歩いた。新生ロシアのロシア人だろうか白人もよく見かける。
人形かと思ったらロシア娘のドアマンだった。にっこり笑った。友人は入っていった。僕はついていった。
クラシックないい雰囲気のロシアレストランだった。建物の維持管理は政府がしている歴史的建造物らしい。
ハルピンビール、このラベルは格別にうまいらしい。ほんとに旨かった。
料理もおいしかった。食べ過ぎるようだったが腹に違和感がなくスムーズに収まっていった。
このレストランはビールの酌もしてくれるようだ。
勘定を見て驚いた。320元だった。建物、室内の調度、料理の質、品数、サックスの生演奏まであった。
露天で栗を買った。歩きながら帰った。松花江に河岸に下りて犬ぞりの写真を撮った。
夜、8時ころ散歩に出た。 麺の旨そうな専門店があった。狭い店内に若者が食事中だった。
3人でビールを10本も飲んで、食べて談笑していた。友人にも話しかけていた。弟が日本にいるそうだ。
とても辛い四川麺だった。とても旨かった。昼間あんなに食べたのに美味しかった。
青島ビールの大瓶が2元と書いてあった。 もおう、中国に住みたくなった。