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はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

虹の彼方に:Over the Rainbowは、

1939年のミュージカル映画オズの魔法使』でジュディ・ガーランドが歌った劇中歌。

ハロルド・アーレンは、映画「オズの魔法使」の音楽作曲を依頼された時点で、既に「ストーミー・ウェザー」など多くの歌曲を作曲して世評の高い作曲家であった。彼がその構想中、妻と街に観劇に出かける途中で、メロディと「Somewhere over the Rainbow」(虹の彼方のいずこか)というフレーズを着想したのが、曲のできたきっかけである。

アーレンはこの曲の出来が気に入り、さっそく作詞を担当するハーバーグに曲を聴かせたが、ハーバーグは「これは、カンサスの田舎娘(ガーランド扮する主人公ドロシー)が歌うには大人び過ぎている」と言い、あまり乗り気ではなかった。そこでアーレンは、やはり著名な作詞家であるアイラ・ガーシュウィンに曲を見せ、後押しして貰うことにした。アイラは「良い曲だからぜひ詞を付けるべきだ」と評し、ハーバーグもようやくこの曲の作詞を承知した。

ジュディ・ガーランドの歌でサウンドトラック用の録音もされ、彼女がこの曲を歌うシーンの撮影もなされたが、映画の編集段階になって撮影所幹部たちから、14歳の少女が歌うには大人びた歌で相応しくない、と物言いがつき、「虹の彼方に」の歌唱シーンはカットされかけた。だが映画のプロデューサーであったアーサー・フリードはこの曲が気に入ってカットに猛反対し、葬られかけたこの曲は土壇場で踏み止まることができた。

結果「虹の彼方に」はアカデミー歌曲賞を受賞して大ヒットし、歌ったジュディ・ガーランドにとっても自らのトレードマーク、テーマソングとも言うべきナンバーとなって、以後の彼女の生涯を通じての持ち歌となった。ジュディが1961年のカーネギー・ホールでのソロ・コンサートで歌ったライブ・バージョンは、ことに名唱とされている。
虹の彼方に
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

20世紀前半の、アメリカのポピュラー音楽の歴史は、黒人音楽を白人が受容していく歴史であったといえる。当時の大物白人男性歌手で黒人的な発声を最初に大幅に取り入れたのは、アル・ジョルソンとエディ・キャンターであるが、ジュディ・ガーランドは、最初に大幅に黒人的な発声を取り入れた白人女性のミュージカル・スターであった。生前、ジュディ・ガーランドは、しばしば「女アル・ジョルソン」と呼ばれたが、故のないことではなかった。彼女の一生は、女性ジャズ歌手のビリー・ホリデイや女性ロック歌手のジャニス・ジョプリンのように、麻薬を含むさまざまな薬物と奔放なセックスに彩られた破滅型のものであったが、ビリー・ホリデイジャニス・ジョプリンの場合と同様に、生き急いだことが彼女の魅力の一部になっている。
ジュディ・ガーランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』


ジュディ・ガーランドover the Rainbow は、
エリック・クラプトン  ドリス・デイ  フランク・シナトラなども歌っている。
最近 ロバートガンバリーニ の歌う オーバーザレインボーをCDで聴いた。良かった。