ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

今日はエッセイ教室だった。

教室ではいろいろ指導を受けるが、お茶の場面に注意がいるようだ。
鎌倉時代の初めに抹茶が飲まれるようになって、茶道として作法が集大成されるのが
室町の終わりころだろうが、その前からいろんな方法や道具があったことはわかるが、
はたして、この時代に茶筅はあったのだろうか、膝前に茶碗をおく作法はどうだったのか、
ひょっとして、人の前で茶を点てたのだろうか、台所で点てたのを運んできたのではないのか、
それと、この時代、長巻はまだないのでは、薙刀にしたほうが、そのような指摘があった。


きょう提出したのは、こんなだった。



栄西と為朝と定秀                       中村克博



 博多からの荷駄を定秀の屋敷にはこび終えた一行は、食事の後、二十頭あまりの馬を河原にまで移動させ浅瀬で丹念に洗っていた。川辺の両岸には青々とした葦がしげって斜面には開く前の艶のあるススキの穂が昼さがりの光に輝いていた。屋敷から出た二騎の武士がゆっくりと道を下っていく。門の前には数人の男女が出てきたのを前田鍵弾は、たわしを持つ手を休めてながめた。
「大友から荷駄の引き取り衆が到着したようですな」
 みんな作業の手をやすめて道のかなたに目をやった。一人が前田鍵弾にたずねた。
「我らも道のはたまで行って出迎えますか」
「いや、近くに来たら手をやすめて、このままで迎えよう」
「おう、見えてまいりましたぞ、かなりの大人数のようですな」

 同じころ行忠は道を見おろす鍛冶小屋の一つにいた。戸外の光を遮断した暗い鍛刀場は炉の炭火が赤く燃えていた。蒸し暑かった。ふいごで空気を炉に送る音がしている。
刀匠が左手で取っ手を押したり引いたりして空気をおくると炉の炎は青く勢いづいて炭火は赤い輝きをました。刀匠の手前から奥に細長い炉が赤く燃えて、炉の右には礫(つぶて)ほどに割った木炭の置き場がある。炉の反対側にはふいごの箱があるが刀匠は左手の動きをとめて立ち上がると赤く燃える炉の上に新しい割炭を十能ですくってくわえた。
ふいごの音がふたたび聞こえ、刀匠は炭が燃える炎の色をみている。炉の中に入れた鉄の棒の先には玉鋼を小割りした地金の塊(かたまり)が熱せられ右手で鉄の棒を動かして輝く色で沸き具合をみていた。行忠は引き戸を開けて外に出た。外にはあずき色の狩衣を着た年老いた武士がいて行忠に声をかけた。
「豊後の衆がまいりましたな、前衛の旗じるしは三本杉、そのあとに三つ鱗の紋がみえます」
「騎馬が五十騎ほど、薙刀をもつ徒歩は百人ほど、空馬が八頭です」
鍛冶小屋の中から槌を打つ音が聞こえてきた。始めしばらくは小槌を打つ音がして、すぐに力強い大槌の音が聞こえてきた。年老いた武士は目を細めて道を見ている。
「なんとも、おおぎょうですな。やや、そのあとにもまだ騎馬が」
「杏葉(ぎょうよう)の旗じるし、しんがりは大友の騎馬が十騎ですね」
「あれほどの人数、棟梁の屋敷には入りきれませんぞ」

 豊後からの騎馬行列は、門前で家人や大勢の村人たちに迎えられて一度立ち止まった。先頭の騎馬が出迎えの人と簡単な挨拶をすると、一騎だけが門にはいって行った。残りの騎馬は、いま来た道を次々と折り返して行く、それに続いていた薙刀をもつ徒歩の百人は騎馬には続かず門の前に左右に分かれて散開した。その後に続く八頭の空馬はそのまま門の中に入っていった。しんがりの杏葉(ぎょうよう)の旗印を掲げた十騎もそのまま門の中に消えていった。すると、折り返して進んでいた五十騎は前進をとめて全員が下馬した。そのまま待機するようだ。
 門の中に入った一騎の初老の騎馬武者は馬から下りた。馬のくつわを屋敷の家人があずかった。栄西が笑顔で出迎えた。沙羅が栄西の後ろに控えていた。
「大神の阿南惟親でございます。このたびは、ご足労おかけいたします」
栄西でございます。遠路、お疲れでございましょう」
 沙羅は二人を離れの部屋に案内した。庭には新しい砂がまかれて掃き清められ英彦山の上には鰯雲が青い空に高くむらがっていた。先刻まで使われていた部屋は火桶に炭がたされて鉄瓶の口から湯気が出ていた。阿南惟親は足を桶の水に浸して洗い、足袋をはきかえて座った。
「ほう、めずらしい道具でございますな、唐ものですか」
「土瓶の形を砂鉄で鋳造しております。筑前の芦屋でつくります」
栄西は茶碗の抹茶に鉄瓶から湯を注いだ。
「豊後ではみかけませんな、芦屋でそのようなものが」
「河内鋳物師(かわちいもじ)が芦屋で手ほどきをしております」
 茶が点てられ、沙羅がにじりでて茶碗を惟親の膝前にはこんだ。
「定秀殿の御息女であらせられますな。お美しい、一五とは思えませんな」
「もうすぐ一六でございます。阿南惟親さまは戸次惟唯さまの叔父君でございますね」 
 沙羅の問答を聞いて自服を立てていた栄西茶筅を振る手をふいに止めたが、ゆっくり息を吐いて茶筅の動きをとりもどした。惟親がくちびるをゆるめて、ふがいない顔になった。
「戸次惟唯さまの深手、私が看護いたしました。今は為朝様と海の上におられます」
 栄西は自服の茶碗を膝の上に持って動かなかった。目を閉じて沙羅の言うことを聞いていた。沙羅は、大神一族がかっての盟主である為朝を裏切ったことを、その為朝の暗殺を命じた人を、その命に服して死傷した若者たちのことを言っていた。少しの静寂があって栄西は茶碗の薄茶を一息に飲み干した。そして、茶碗を変えて沙羅のために湯を注いだ。

 そのころ、定秀は一人で表座敷に大友の十人の武士と相対していた。部屋の障子も廊下をはさんだ障子も開け広げてあった。囲炉裏があるが火はなかった。川向うの鍛冶場からは槌の音がいくつも聞こえ、庭の隅に柿の木があってまだ青い実をたくさんつけていた。鶏の家族がうろうろして犬が日なたに寝てあたりの様子をうかがっていた。猫はみえない。挨拶のあと、とりとめのない話が交わされ、やおら笑顔が見えはじめるころ、
「このたび鎌倉より豊後をまかされ、英彦山には初めてのご挨拶であります。引き出物に陸奥の馬を八頭持参しましたが、英彦山から宋銭を大層にいただきまして、それを持ち帰るために陸奥の馬八頭に運ばせます。後日あらためて八頭はおかえしいたします」
 大友の武士が一人、定秀に両手をついて口上を述べた。
「さらに、このたび鎌倉から奥州の砂金包(さきんづつみ)を持参しております」
 言い終わると十人の武士が一人づつ重たそうな革袋を、それぞれの布包みから取り出して定秀の前に運び並べ重ねていった。
「お品は、目立たぬよう、みな鞍の後ろにくくり付けてまいりましたが、馬が難儀しました」
「日田往還を通ってこられましたか、けわしい山道ですからな。帰りもですか」
「そのように指図されております。行きは空馬八頭、帰りは荷駄八頭に錦の絹をかけて英彦山の旗印を立ててまいります。それを見て、戦はないと知らせます」
「深遠なご配慮、いたみいります。これで豊州の人々も安堵を伝え合うでしょう」
「我らも戦は先の奥州合戦で終わりになればと思います。ありがたいことです」

 行忠は鍛冶場をはなれて道を下りていた。背丈ほどの萩がうす赤い花をかすみがかかったように咲かせて、途中に鍛冶小屋がいくつも見えて槌の音がしていた。木立や藪の中に気配を殺して
大勢の山伏がひそんでいた。薙刀は持たずに弓をたずさえているものが多かった。年老いた武士も
行忠にしたがって歩いたが木立の奥の気配には気をとめなかった。
「行忠様はお怪我をされて、もうずいぶん鍛刀はしておられませんな」
「そうですね。以前は多い時には月に二振りほど打っておりましたが、体も治ったので、そろそろ身体ならしを始めようと思います」
「そうですか、それはうれしゅうございますな。為朝様の側近として、武道の鍛錬の合間での鍛刀ではありましたが、見事な太刀を打たれたことがございました」
「武道はもう思い切ることにいたしました。怪我のこともありますが、それより」
行忠は言葉をつまらせた。道に下りてきた。騎馬隊の列が見える。


栄西茶筅をひいて茶碗を手のひらにのせた。阿南惟親は茶碗を大きく傾けて残りのお茶を飲み干した。沙羅は体を前にかたむけて栄西が出した茶碗をとりよせた。惟親は空いた茶碗を胡坐をかいた膝前に置こうともせず右手に持ったまま間の悪いようすをして沙羅を見ていた。
「惟親さま、お味はいかがでございましたか」
「まことに、申し分のない味でございました」
 沙羅はにこりと笑顔でかるいお辞儀をして、自分の茶碗を横によけ、惟親に近づいて空いた茶碗を受け取って栄西のもとにかえした。
「戸次惟唯さまは、もうすっかりお元気になられて、ご安心ください」
「それは、ありがたいことです」
「ですが、惟唯様のお父上、戸次惟澄様はこのたび大友の孫を養子にされたそうですね。それでは惟唯様の帰る場所がございません」
「おそれながら、為朝様の襲撃の折にも、その前の神角寺の戦いでも、その前の源平の壇ノ浦合戦でも、大勢の人々が死んでおります。奥州合戦で鎌倉は二十七万騎もの軍勢を向かわせ平泉を攻め滅ぼしたといわれています。死んだ人にはそれぞれに親や子や親しい人もおります。生きた人も多くの人が行く場所がなくさまよっております」
 沙羅は八木山で見た平家の落人を思い出した。奥州はもっと悲惨だったのかもしれない。
「緒方惟榮殿は大神一族の生き残りのために先日、自害されましたが大友から直系の血筋を大神に入れることの誓約を引き換えにされました。戸次惟澄殿が大友能直の孫、重秀様を養子に迎えられたのはそのようないきさつです」
 栄西が鉄瓶の蓋を開けた。素手で蓋の摘みをつかんで熱そうに手をはなした。けっこう大きな音がした。水差しから柄杓で水を二杯つぎたした。阿南惟親は気を取り直すように、
「率直に申し上げます。このたび、それがしがまかりました役目は紀の太夫、三町礫の平次様、つまり僧定秀様のご息女沙羅様を大友の御養女にお迎えする内諾を賜るためであります」
 沙羅は無言だった。胸元に両手で持ったままの茶碗は、まだ一口も飲んでいなかった。両手が下がって茶碗は膝の上にあった。惟親は目を伏せかげんに沙羅の手元を見ていた。栄西が惟親の使った茶碗に水をくわえた。茶筅をとおす音がした。茶碗の水を建水にこぼす音がした。沙羅が茶碗を口元に運んだ。三口で飲み干した。飲み口をぬぐって膝前に置いてお辞儀をした。
「結構なお味でございました。ただいまのお申し出、沙羅は承諾いたしました。すでに父を通してのお話とは思いますが、我ら親子の話もございますれば今しばらくのご猶予を賜りますようお願いいたします」
                                平成二十六年一月三十日