2006-06-15 鹿児島の長島町のホームページに・・ 江戸時代のはじめ、薩摩藩主島津家久は、琉球を攻めることにし、大将を樺山久高に命じました。慶長14年、樺山久高は兵3000人を率いて、3月15日、山川港を出航し、4月には琉球の首里城を攻め、琉球王尚寧は降伏しました。樺山久高は、5月には尚寧らをつれて鹿児島に帰りましたが、この戦いに従軍した城川内の大堂氏は、琉球より記念にソテツを持ち帰り、自宅と長光寺に植えました。 その後、大堂家に植えられたソテツは、大正11年、城川内小学校の敷地拡張工事の時、城川内小学校に寄贈されました。との記載があった。