ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

天気がよくなると、家じゅうから水が噴き出した。

先週は週の初めからひどい寒波がやって来て、雪がたくさん降った。
気温は八木山でマイナス10度にもなって、三日ほどで積雪が40cmほどにもなった。
寒がゆるんで水が流れ始めると、家じゅうの水道管や蛇口が凍結破断していた。
町中の水道管が破裂していて、復旧工事が間に合わず我が家はいまだに大変だ。
こんな時には、いろんなことが重なるもんだ。体も頭も心も忙しくて大変だった。

先週、エッセイ教室に提出した原稿は、


三隻の船は伯耆の国の沖合を夜通し走って東の空が白むころ若狭の浦に入っていた。雲が多い空で朝日が高くなるにつれ蒸し暑さが増した。
船尾楼の甲板に為朝と船頭の兵衛それに行文がいた。
行文が右舷の彼方を見ながら兵衛に、
「若狭の鯖を京の都に運ぶ小浜の湊はこの辺りですか」
兵衛が右腕を伸ばして指さした。
「そう、あのあたりですな、博多のような入海で広さは半分ほどです」
「小浜に入れば昼には着けるでしょうに、敦賀までには日が落ちる」
「小浜から京までの若狭街道鯖街道、塩でしめた鯖を担いで峠をいくつも越え、よく朝、京に着くころ鯖が丁度よい加減になっているらしい」
「そうですか、人の通りが多いのですね」
敦賀からなら琵琶湖を船で運べる、その方が苦もなく、はやいですな」
為朝が二人を見て、
「京のしめサバ…、はて、どんな味であったろうな」
壱岐で食べるのと、ちがうのでしょうか」
「やはり、サバは冬の壱岐で食べる切り身がうまいようですが」
「そうだな…、京は海が遠い、生鯖の切り身は食えんな」


船が敦賀の奥ふかい入り江にさしかかったころ、日は西の海にかたむいていた。終日おだやかな航海であった。
 行文が浮かれるように、
「右手の山の頂が赤く輝いております」
「手前の山は栄螺が岳、奥のが西方が岳です。岩山で草木が生えず岩肌が雨風にさらされ白くなっております。夕焼けの色が映ってうつくしい」
「この岬の奥が敦賀ですね」
「そうです、今日は入り江の奥に碇を入れて明日から荷を揚げます」
「せっかく、ここまで来て、陸に上がってみたいですね」
「そうですね、残念ながらこたび我ら二隻の者は船にとどまります」
「先頭を走っていた護衛の聖福寺船からは兵が半分ほど上陸するのですね」
「そうです。地保の確認と警護に当たります」
 西方が岳の方から煙が立ち上って東にゆっくり流れ夕日に赤く染まった。
「狼煙ですな」
聖福寺の兵は鎌倉から差し向けられた豪の者たちだそうですが」
「こたびは朝廷からも北面の軍兵が警護に遣わされておるそうです」
「なぜか、我らは敵地に出向くようで、おかしなことです」
北面の武士も鎌倉も共に朝廷の軍勢でありますのに」
船が岬をまわると海に沈もうとしていた夕日が山に隠れるように落ちて、三隻の船は入り江の奥に舳先を北に向けて次々と碇を入れた。

碇を入れてしばらくすると二艘の小早船が漕ぎ出して聖福寺船に接舷した。そこに大勢の兵が太い網目の梯子を伝って流れ落ちるように手早く乗りこむと陸に向けて動き出した。
兵衛がその様子を見ながら、つぶやいた。
「一艘に三十ほどの武者が得物を持って音も立てずに見事な動きだな」
「よく鍛錬された坂東武者の精鋭でしょうね」
為朝が入り江の奥を見ながら、
「朝廷の武士たちの本隊はあの丘の上、金ヶ崎城におるようだな」
「はい、あの城は昔、平通盛が木曾勢との戦いに備えて築いたのでございますね」
「そうか、治承・寿永の乱といわれる源平合戦はもう、昔のことだな」
為朝は丘の上を見つめたまま、しみじみと応えた。

二艘の小早船がしだいに暗くなる入り江の奥に消えるころ、船着き場のあたりに二つ三つと、かがりが焚かれた。それが五つ六つと増えて辺りを照らしはじめると大勢の人影が動いていた。
月は出ていなかった。雲の合間に星はちらちら光っているが船の上は急に暗く感じられた。それでも、ほどなく目が慣れてくると船の甲板での動きに差しさわりはなかった。
船尾楼の甲板に天幕がはられた。中に厚い敷物が広げられ、明るい灯台が中ほどに置かれた。客人を迎える準備がなされていた。天幕が整うまで為朝は船尾楼の船室に扉を開け椅子に座って女宮司と巫女たちに囲まれるように茶を手にしていた。
南宋の交易船に灯りがともり、一人櫓の小舟が降ろされていた。小舟に人影が乗り込んで、そこにも灯りがともされこちらへ動き出した。
兵衛がやってきて、
南宋の船から小舟が参ります」
「そうか…」と言って女宮司を見た。
 女宮司はうれしそうに、
「博多の綱首さまとタエさまもご一緒ですね」

丁国安と妻のタエは粽が山盛りに入った大きな籠をいくつも持参していた。お供の者がそれを水夫や為朝の郎党たちに運んでいった。あちこちで嬉しそうな歓声が上がった。アラビアの船乗りたちも珍しそうに受けとった。
丁国安とチカは兵衛に案内されて天幕にはいった。
 丁国安が胡坐をかいてすわる為朝に、
「こちらの船の賄いはアラビア流儀だと思いましてチマキを持参しました」
「おお、それはかたじけない」
「博多の粽は南宋じこみ、私は好物です」
タエが粽を為朝、女宮司そして巫女たちに手渡しながら、
「傷むまえに蒸しなおして、まだまだ、おいしいですよ」
 みなが粽を味合ううちにアラビアの簡単な料理がいく品か運ばれてきた。
 タエが目ざとく、その中から手に取って
「アラビアのナンはおいしいですね」と口にはこんだ。
 亭主の丁国安が、
「もそっと、しとやかに振る舞いなされ」と言った。
「あ、そうですね」と口元をかくして笑い、厚い敷物に座りなおした。
 粽を食べおえて、ナンを千切りながら兵衛が、
「いつもなら、ここに禅僧が二人おるのですが、あちらの聖福寺船が忙しいようで」
 丁国安が為朝をちらりと見て、
マンスール殿もおるはずですが手筈がちがいましたな」
マンスールもこの船に乗るはずであったが、芦辺のチカの婿になったのでな」
兵衛がかしこまり為朝をみて、
「芦辺のご当主がマンスール殿の代わりに私を差し出されたのでございます」
「よかった、よかった。それで兵衛殿は為朝様のご座船の船頭ですな」
「はい、おかげで今は為朝様の郎党でございます」
 天幕の中はなごんだ話がつづいていた。
そこに外を警固していた行文が、あわてた様子で入ってきた。
「二艘の小早船がまいりまして、朝廷の使いだと申されるおん方が…」
兵衛が口のナンを茶で流し込んで、
「な、なんと、それではまるで、勅使ではないか、それがなぜここに」
「それが、そのぅ…、源氏の御大将にお目通りしたいと…、申されて…」
「なんと唐突な、そのような…、な、なぜ、もっと早く知らせぬのですか」
「それが、まさか思いもよらず、いや、申し訳ございません」
為朝が笑いながら、
「わしは伊豆の大島でとっくに死んだことになっておるに、おもしろいな」
兵衛が腰を浮かせて、
「いかがいたしましょう…」
「いや、朝廷からとなれば、会わずばなるまい」
「では、どこにお通しましょうか」
「久しく公家言葉を聞いておらぬでな」
「奥の船室にお通ししましょうか」
「…、いや、前触れもなく咄嗟のこと、ここでよい。みなも話を聞くがよい」

少しの、いとまののち勅使が天幕に通された。檜扇を手に衣冠を着て正装した文官が二人、太刀を佩き糊のきいた狩衣姿の武官を二人従えていた。接舷した一艘の小早船には十人ほどの腹巻を着用した武士が意を体し蹲踞の姿勢でいた。離れたもう一艘は中の様子がしかとは見えなかった。

為朝の船の上甲板には大勢の水夫や武士たちがいたが小声もなく静かで、文官の歩く木靴がぼんやりした音を響かせた。
 天幕のなかは模様を変えていた。会食中の器などいそぎ片づけられ、座の中ほどを広く空けて正面に為朝が一人、床几に腰かけていた。明るい灯台が為朝の左、やや前方にある。
四人の賓客は為朝に向かい二列に腰かけた。前に文官が二人、後ろに武官が二人である。為朝の左側に女宮司、丁国安夫婦、兵衛、行文が腰かけた。右側には白衣に緋袴の若い巫女たちが五人ならんで雅やかな様相をかもしていた。
かたち通りの挨拶があって、文官の一人が、このたびの宋銭の寄進をよろこび、神妙なる心がけをほめたたえる朝廷の言葉をつたえた。そのあと、深く息を吸って、おもむろに口を開いて、為朝にいそぎ京におもむいて参内するようにとの綸旨を読み上げて為朝を見つめた。為朝の顔は左側だけが明るく照らされていたが表情はうかがえなかった。