ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

朝日の木陰にテッセンが乱舞している。

散歩の帰りに出会った農家のおばあさんが悔やんでいた。昨夜イノシシが田圃に入って稲を倒していたと・・
「今の時期にもイノシシは出るのですか?」と問うと、おばあさんは「そこの竹林からはいったごとある」とあごをしゃくった。

田圃の稲は元通りに植えなおしてあったが水の中に沢山の足跡が残っていた。「まさかグリュックではないよね」と聞いた。
「グるっく、やなか、イノシシはここから出て、ほら、そこの草むらで転げまわちょる」と指さした。なるほど草が倒れて泥が付いていた。

おばあさんの鋭い指摘は、むかし観た西部劇映画を思い出した。インデアンの斥候が騎兵隊に馬の足跡を見ながら敵の様子を説明する場面に似ていた。場所は砂漠だったが・・

飼い犬条令が各地で施行されて

日本中の飼い犬が自由に動けなくなったことと獣害との関係はどうなのかと思う。近年になって鹿やイノシシが畑を荒らすのにくわえ、サルが住宅街にやってきて住民に危害をくわえるニュースが多くなった。昔、住宅地にはいたるところで犬が自分の縄張りを時々片足を上げながら見回っていた。我々子供もそれぞれの犬の気性を知っていて仲良くしたり避けたりしていた。時には咬まれても仕方がないことだった。


もちろん、あまり大きな犬や闘犬を放し飼いにされても困るが、昔は社会がもっとおおらかで、住民には通念としての常識があったような気がする。土手の川原では若いお兄さんが二人がかりで大きな犬に古タイヤなど引かせて鍛えていたし、土佐犬などの闘犬会などもあっていた。


そのころ南ドイツ辺りではロットワイラーはまだ荷車を牽いていたらしい。いい風景だと思うのだが1986年に動物保護法が改正されそれもなくなったようだ。常識も法律も時代の都合で変わる。価値観の多様化とは何でもありの事だろうから、通念とか常識とかは同居できない。変わりに法律が必要になるのだろうか・・