ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

バンクシー展を見に行った。

 

 

バンクシー展を見に行った              中村克博

 

 

 前回のエッセイ教室で、バンクシー展を見てきた人がそのことをなんとも魅惑的な文章にしていた。バンクシーという名前は初めて聞いたのだが、筆者の朗読を聞いていて僕も見に行きたくなった。エッセイ教室が終わってスーパーの地下で幕の内弁当を買って駐車場の車の中でお昼にした。それにしても地下の弁当コーナーは寿司や幕の内、ハンバーグやステーキ、おにぎりやサンドイッチなどの弁当が選ぶのに迷うほど並んでいた。お金を払おうとしたらレジは無人の自動精算機が並んでいてどうしたらいいのか戸惑った。助っ人のおばさんがやって来て操作を教えてくれた。レジ袋はいるかと言うので「はい」と言うと「三円です」と言われた。

幕の内弁当はうまかった。バンクシー展の会場に近そうな大名の駐車場ビルに入った。天神のアップルストアからすぐのはずだったが、探し回って歩いたが見つからない。人の好さそうなおじさんに道を尋ねた。その人はスマートホンを開いて付近の地図をだした。「ここが現在地です」と僕に画面を見せる。「その先を右に曲がってすぐ先のビルです」と教えてくれた。なんとも便利な機能があるもんだ。おじさんのスマホの操作に気をとられて教えられた記憶はおぼろだった。見当違いに歩いたようで目的のビルに行きつかない。ウロウロしていたらいくつもテントを張ったバンクシーの看板がかかった会場の受付があった。

チケットは窓口で買うと二千二百円、スマホで買うと千八百円だった。四〇〇円ちがうならスマホで買うにきまっていると思ったが操作が分からない。困っているのを見て案内の女性がやって来た。説明を聞いても分からないでいると「コロナでお客様のスマホをさわれないので」と言いいつつ、「このQRコードを撮ってください」と言われても、なんのことやら僕にはわからない。「コロナで触れれないんですけど」と女性は僕のスマホをとってすべての操作をしてくれた。マスクをしていたので口元は分からないが形のいい唇が笑っていたはずだ。

場内は自由に撮影できた。世界中の街角で人目を避けて型紙とスプレーでビルの壁やコンクリートの塀に短時間で描くらしい。型紙を使うようで同じ絵もあり、あちこちのストリートに描くようだ。展示はビルの三階まで沢山の作品が展示されていたが、見ているうちに昔頻繁に会っていた知人を思い浮かべていた。バンクシーと思い浮かんだ知人のお面影が重なっていて不思議だった。作品の中にベトナム戦争のとき戦争被害にあって痛々しく泣き叫ぶ全裸の少女の報道写真を使ったのもあった。両腕をミッキーマウスマクドナルドのおどけた人形が持っている。アフリカかオーストラリアの砂漠でCOSTCOの大きなショッピングカートに向かって投げ槍や斧を構える三人の土人がいた。モヒカン刈りにされたチャーチル肖像画があった。立ち止まって作品を見ながらどんな意味か、バンクシーは何を言おうとしているのかしばらく考えていた。これまでいろんな美術館で沢山な芸術作品を見たがその時の感激や感銘とは違う、わからないが、しかし深く心を動かされたのは感じた。こんな芸術的な落書きをヨーロッパやアメリカや日本でも大掛かりにやっているようだ。大変な資金と人がかかわっているようだ。911のテロやイラクアフガニスタンに関する作品が見当たらなかった。

会場から出てすぐに、見覚えのあるマンションがあった。もう三十年、いや、もっと前、ここに住んでいたバンクシーのような経営コンサルタントの先生をよく訪ねていたZenさんの住いだった。なつかしいより不思議な気がした。友人と、とちょくちょく訪ねていたあの頃のことが最近のできごとのように思いだされた。その住まい近くに、そのころ何度か行った餃子のイマジンの店もあった。角の古本屋や醬油屋は新しい建物になっていた。古本屋に入ってみた。中に入ると昔と同じ場所に座っている人は随分年を取っていた。「戦争と筑豊の炭鉱」という本を手に取ってみた。嘉穂郡碓井町教育委員会の発行だった。買った。向かいの醤油屋の店内にも入ってみた。江戸時代と同じ手法で作られている醤油の小瓶を一つ買った。

街の様子がどんどん変わっていくようだ。なつかしい通りをふり返ってながめた。通りやマンションを写真にとって今はバンクーバーに住んでいる友人に送ろうと思った。友人はZenさんと頃を同じくしてバンクーバーに移住している。

うろうろしていたら、車を停めた駐車場のビルが分からなくなっていた。近くの新しい靴屋の店に入って尋ねた。僕が止めた車の場所がわからない、そんなこと聞いてもわかるはずがない。それで、こんなこともあるかとスマホで撮っていた写真を見せた。すると男の店員は知らないという。女性の店員に見せていた。すぐわかったようで「裏の通りです」と店から出た。いやいや、ありがたいそこまで聞けば思い出した。まったく便利なスマホだと実感した。

家に帰って、すぐにバンクーバーの友人に写真を送った。Zenさんの近況も尋ねた。足る日の朝、パソコンをひらいた。カナダからの返事が届いていた。Zenさんが昨日バンクーバーのZeneral hospitalで緊急手術を受けたが亡くなったという知らせだった。

僕はバンクシー展の会場を歩きながらバンクシーがZenさんの面影に重なっていた。そして会場を出るとほとんど目の前に、むかしZenさんが住んでいたマンションがあった。なんか、不思議な感じだった。友人からの返信を見ながら、寂しかった。思い出が遠くに行ってしまったようなきがしていた。

 

令和三年九月十六日