梅雨はまだ明けない、天気のいい日は石垣づくり、
だんだん運ぶ石が大きくなった。これは二輪車では壊れそうだ。
ベランダに小さな花が咲いていた。
石を運ぶ道具がふえてきた。大きな石はソリの下にパイプを敷いて運ぶ。
以前積んでいた石をこの大石に取り替えようと思う。
ベランダにクリスマスローズが咲いていた。真夏なのにまた咲いた。
先日の金曜日はエッセイ教室だった。
貝原益軒を書こう 二十二 中村克博
「江戸幕府が多くの大名を減封や改易処分にして浪人が大坂や江戸にあふれております。再仕官の望みもなく、幕府への不満は世情を不穏にしています」
久兵衛はかしこまって両手で杯を受けながら、
「鄭成功の援軍要請を受けるのは浪人対策でしょうか」
宗州は自分の杯に差す手をとめて、
「そうかもしれませんね、それにしても、家光公がご逝去され、将軍家を継承した家綱公はまだ十一歳の幼年・・・ 内大臣に任じられましたが・・・」
宗州は目を右手の杯に落として久兵衛の返答を待つようだった。
久兵衛は焦点の定まらない顔をして首をかしげ、しばらく無言でいたが、宗州の話の流れを微妙にかわして話をついだ。
「たしかに、お取り潰しの大名家は多く主家を失くした武士が大勢いますが、それよりも世情を危うくするのは、戦がなくなって、かっての雑兵たちの居場所がないことではありませんか、むかし太閤殿下が戦場からあふれ出た戦人の荒ぶる圧力を朝鮮征伐に向けられたのは道理ではありますね」
「そうですね、それまで戦場を暮らしの糧にしていた人たちは戦が無くなれば命を繋ぐことがかないませんね、雑兵、小者、下人その数は武士の何十倍にもなります。武士には倫理がありましょうが、飢えた野獣に分別はありません」
久兵衛は話が幕府のご政道にふれないように気づかっていた。
「わが黒田の家中でも、慶長十七年、私が生まれる前のことですが地元の遠賀の普請に、延べ十二万八千人を動員しました。大掛かりな普請工事は戦場がなくなった世の不安を避ける政策ですね」
宗州が久兵衛の話に相鎚をうつように、
「そうですね、大坂の戦いの後、徳川様の世になると江戸や大坂はもとより、各大名家では知行地での道路や橋の普請工事が、それにお城や城下の新築建設工事も、鉱山の開発も盛んになります。 しかし、今ではそれもおさまり・・・ むしろ、今のご時世のほうが世情の不安を鎮めるのは難しいのではありませんか」
宗州と久兵衛の話は熱を帯びていたが、隣の二人はなにやら愉快そうにして、娘は時おり笑いがすぎるようだった。料理は間をはかるように次々と運ばれてくる。根岸は手の届く範囲のものをあらかた食べてしまい、娘と差しつ差されつ飲んでいたが、娘が何でそのようにおかしいのか解せぬふうであった。根岸は食べて飲んで娘の分まで手を伸ばしていた。
侍女ふうな中年のふくよかな女性が何度か顔を出して部屋のようすをうかがっていた。娘が嬉しそうに自分の料理を箸ではさんで根岸の皿に移しているのを見た。中年のふくよかな女がさりげない仕草で根岸ににじり寄った。そして、酌をしようと左手を右手の袂に添えた。すると娘の手が白磁の徳利にスッとのびた。白い腕が恥じらうようにうす赤く染まってみえた。根岸が箸を置いて杯をとった。娘が少しよろけて手が徳利にふれて音をたてて倒れた。吸い物の椀がひっくり返った。中身の汁は根岸が残らず飲んでいたのは幸いだった。中年の女はあきれたように部屋を出て行った。久兵衛は音のした方に顔を向けたが宗州は久兵衛を見すえたままだった。
久兵衛が顔をもどすと、宗州がせかすように、
「貝原様は由井正雪のことはご存知ですか、各地の大名家はもとより徳川将軍家からも仕官の誘いありました。しかし、正雪は仕官には応じず、軍学塾・張孔堂を開いて多数の塾生を集めております。幕府への仕官を断ったことで彼らの共感を呼び、張孔堂には多くの浪人が集まるようになっております」
久兵衛は黙って聞いていた。宗州がつづけて、
「張孔堂は評判となりまして、門下生が三千人、その中には諸大名のご家臣やお旗本も多く、紀州藩の徳川頼宣公も備前藩の池田光政公もご援助されておるとか・・・」
久兵衛は頭も動かさないように黙っていた。
宗州が声を殺して、しかし語意を強めるように、はっきりと、
「貝原様、お聞かせください。私どもの商いは・・・ オランダや明や高麗などとの交易はどうなるのか、世がこれからどのように変わるのか・・・ 私はキリシタンですが、ご禁制はこれからさらに強くなるのか、じつはこの事も気がかりなのです」
久兵衛が下を向いてこたえた。
「わたしに、そのような大それたことが分かりようはありません。ただ都に上り功名な学者の塾を訪ねて勉学するよう藩命をうけておるだけですが、ただ・・・」
にわかに娘の声がした。娘は宗州の方に向きなおって姿勢を正しているが目がとろんとしている。
「おとうさま、頭がふらふらします。根岸さまに部屋まで連れて行っていただきます」
宗州がうろたえて、
「そのようなことができるものか」とたしなめて、誰かを呼ぶために両手を広げて手を打とうとしたが、根岸がそれを制して、
「いやいや、かまいません。ついでに厠で用を足してきます」といって立ちあがった。
根岸が座って障子を開けると娘が先に出た。根岸は右手の指をついて二人に頭を下げ左手に大刀を持って後に続いていった。
宗州が久兵衛に娘の心得のない不作法を詫びた。
根岸は娘の部屋にいた。二間続きの奥の部屋には夜具の用意がされていた。娘は倒れ込むように根岸の手を引いた。根岸はマズいと思いながら娘の上にかぶさった。左肘で支えて体は娘から離していたが顔が近い。娘の吐息が大きく根岸のほほを撫でた。娘は根岸の右手を放さず襟元に誘う。大きな腕は恥じらう白い腕にさからわなかった。二つの手が襟の中に入ると娘は根岸の手を放して盛り上がった剣士の肩にふれていた。
令和二年七月十七日