山崎師範と江頭さんが小太刀の稽古をしていた。
宗家がこまかい処を指導されていた。居合の伝統を体得するのは奥が深い。
僕も今年から小太刀の稽古を始められたらと思っている。
エッセイ教室に提出した小説の原稿は、
貝原益軒を書こう 中村克博
伝馬船は難波橋の下をくぐって天満橋が見えると間もなく左に舵をきって水路に入っていった。夕日が町家に隠れて急に暗く感じられた。規則正しく町割りされて同じような家の軒から夕餉の煙がでていた。櫓を漕ぐ船頭はキセル煙草をふかして、漂う煙がゆっくり後ろになびいていた。風は感じなかった。
「宿は、もうすぐです。あの二階家です」
船頭が顎でしゃくる先にひときわ大きな建物が見えた。小さな舟寄のある石段に灯篭の明りがついていた。船頭は舟を舫うと二人の先に立って石段をゆっくり上ったが右足を少し引きずるように歩いていた。裏玄関と言うよりは裏木戸か勝手口のような出入り口から入った。船頭と顔見知りらしい仲働きの女中が出迎えて土間の小部屋に案内した。長床几に腰かけて待っていると洗い桶が運ばれてきた。二人は足袋と脚絆を脱いだ。桶の水には湯がたしてあって暖かだった。
久兵衛が足を桶に浸していた。その様子を立って見ている船頭に、
「このような宿に、ありがたいが宿代も大層でしょうね」
「いえいえ、先ほど小笠原のお武家様から過分なほどの舟代を頂いておりますので、オアシの心配はいりません。ただいま、部屋の準備をさせております。しばらくお待ちください」
「舟賃と宿屋は別物でしょう」
「いえ、わしの親方は舟を多数持っておりますが、この宿も親方のもんです」
「そうですか、それでこの宿に案内した・・・」
「それに、親方は人足を手配する口入も、幕府公認の博打場も手配しております」
根岸は湯桶の中で足を揉み洗いしながら話を聞いていたが、
「船頭さん、そなた、元は武士の出だな」ととうた。
「はい、若いころは、とある家中に仕えておりました」
「戦場を体験しておるようだ」
「大坂では冬の陣、夏の陣とも城外で徳川様に刃向かいますが、最後はお城から焼け出され、許されました。島原では徳川方
に陣がりして島原城の石垣を上りました。その折、鉄砲玉を三か所うけて真っ逆さま・・・」
「ほう、おもしろい話がきけそうだ。しかし、島原の戦のあとはもうイクサはない」
女中がやって来て、部屋の用意ができたことを告げたが、話に熱が出たようで話がつづいた。女中はしばらく立っていたが、奥にさがっていった。
船頭は床几の隅に腰かけて、頭をチョイと下げて、
「大きな戦はないかも知れませんが、大坂の街には不逞の浪人がたむろします」
「そうだろうな、京も江戸もそれは同じらしい」
「とくに大阪は天下の台所と言われ、国々の物資や金が途方もなく集まる。そこに行き場のないあぶれ浪人たちの受け皿として博徒の組がぎょうさんてきております。賭場を開くのが大きなシノギになっております」
根岸は少し水を注すように、
「俠気ある浪人や町人たちと言うわけだな、それらを大部屋に住まわせ、賭博や女遊びをさせて、いざ普請工事となると動員する」
. 久兵衛が興味深げに聞き入っていたが、
「大坂は元来から反権力の街でもあったのですね。信長公とは死闘をくり広げた土地でもありますし、豊臣秀吉様、関白殿下を太閤さんと呼んで慕った大坂の町人たちは、豊臣政権を倒した徳川幕府への反感が心の底にあるのか知れません。こうした伝統も博徒を容認する背景にあるのかもしれませんね」
船頭は少し考えるふうで、
「そうですなぁ、ナニワは義理や人情にあついようですが、かと言って親分子分や縄張りにこだわりませんで、実力次第でどこにでも出ていく、一匹狼が成り立つ気風がある。それで小さな組が入り乱れるのかもしれませんな」
久兵衛はさらに現地調査の聞き取りでもするように、
「大坂町奉行は東西ともに江戸から不定期に赴任し、役目を終えると江戸に帰る。世襲ではなく、軍務として出陣するように出向いてまいりますが、一方、与力は大坂在住のままで所帯をもって役務を引き継ぐ、世襲としておりますね」
船頭は久兵衛の話の意図なんだか分からなかった。根岸は運ばれた茶をすすっている。久兵衛は話を続けて、
「この宿の近く天満川崎村の地に、与力町、同心町と町の名がついておりますが、東組、西組を合わせて与力は六〇人、その屋敷の坪数三万坪といいますから、一人五百坪の屋敷が東西三十騎つまり三十家に与えられている。同様に、同心の役宅も東西百人に二万坪、一人当たり二百坪が地割されている。と言うことは、つまり与力は徳川将軍直参の軍役であり、大坂町奉行の家臣でなく、主従関係にない、となりますが、これを、どのように思いますか」
船頭は困った顔をしていたが、思い余ったように、
「そないこと、考えもしなかったけど、大坂地付(土着)の与力、同心はそのうち大坂町人の風情にとけこみ武士の気概をなくし・・・ 廉恥の心薄く、質朴の風なし、ということになりますかな」
根岸は床几から腰を上げて、
「そうか、それで、江戸幕府は公認の博打場をアチコチに作らせておるのだな。任侠道の親分たちにチンピラをまとめさせて掌握する手立てなのだな・・・ そろそろ部屋に上がろう。腹が減ってきた」
船頭が役目を終えた顔で、
「それでは、わしは、これでお暇します」
久兵衛が丁寧にお辞儀をして、挨拶しようとすると、根岸が、
「飯のあと、幕府公認の博打場を体験せねばなるまい。案内をたのみたいが」
「そうですね、おもしろそうですね」
令和二年一月十六日