朝起きて、妻がベレンダのガラス戸を開けようとすると、
青い小鳥が鉢植えに寄り添って動かない。
怪我でもしているのかと思ったら、
日向ぼっこをしているようだった。
怖がる様子がなくて、両手でそっとつつんだ、
小鳥の体温が手のひらに伝わってきた。
しばらくすると、「ギャー」と鳴いて離せと言っているようだ。
手を開くと飛んでいったが、近くの地面に下りて、またじっと動かない。
猫に見つかれば朝飯にされる。もう一度、手でつかんで木の枝に乗せて見ていた。
動かないので指で押すと、「ギャー、ギャー」と言って遠くへ力強く飛んでいった。
昨日は、エッセイ教室だった。
貝原益軒の三回目を提出した。
貝原益軒を書こう 三 中村克博
忠真公の前で近習たちに行った探査報告の場は、しだいに近習たちの発言に熱が入り議論の様相を呈しはじめた。聞き入っていた忠真公は傍に控えていた中年の武士に少し顔を向け、うながした。
中年の武士が軽く頭を下げ、
「申し上げます。恐れ入りますが、暫時の休息をいただけたらと思います」
忠真公は席を立って部屋を出た。中年の武士が後に続いた。場がくつろいで、茶坊主が近習たちに茶を運んできた。久兵衛は蓋を取って湯気の立つ茶をすすった。庭に面した障子が開け広げられて雨上がりの外気はひんやりしたが、部屋の中ほどにまで差して来た朝の陽ざしが温かかった。
久兵衛が茶うけの粕漬を箸で摘まんで口に入れた。大根の一切れだが少しの酸味と歯ざわりがいい。鼻から抜ける匂いに眼をほそめていた。茶坊主がそばに来て軽く手をついた。粕漬の講釈でも言うのか思ったら、忠真公からの伝言だった。
茶坊主に案内されて奥書院に向かった。廊下を何度か曲り、幾つかの部屋を障子ごしに通り過ぎて奥書院に着くと忠真公は床を背にして正坐していた。
久兵衛は脇差を鞘ごと抜き取り茶坊主に預け、頭を床に擦り付けるようにして、
「貝原久兵衛、まかりましてございます」といった。
膝の上で淡い黄色の茶碗を両手に持っていた忠真公はくつろいだ笑顔で、座席をうながした。久兵衛は忠真公の左斜め前に正坐した。目の前に老齢の茶道頭が釣り釜から湯を汲もうとして柄杓を手にした。久兵衛は茶道頭に軽く会釈した。
年老いた茶人は手を止めて、
「おくつろぎやす」といった。
京の言葉だなと思った。その一言で張りつめた体が緩むようだった。
忠真公が先ほどまでの労をねぎらったあと、
「そちは、明日にも京へ向かうのだな」といった。
「は、はい、内裏(大里)から出る関船に便乗させていただく手配です」
「京では木下順庵を訪ねるのだな」
「い、いいえ、松永尺五様の門に入る所存でございます」
忠真公はふと考える様相をしたが、
「そうであったか、昨年の慶安四年(一六五一年)の慶安の変を知っておろう。由井正雪の乱とも言うようだが、木下順庵なら江戸柳生との繋がりから事の奥深いところが分かると思ったのだが…」
「は…、はい、私の受けた主命は松永尺五様の講習堂に入門をお許しいただいて、勉学することでございます」
「そうか、しかし木下順庵も訪ねるとよかろう」
「は、ははぁ、ありがたいお言葉、恐れ入ります」
「そのように、は、は、はと、しゃちこばらずともよい。順庵には今使っておる上野焼の茶碗と水差しを遣わすことにしよう」
茶道頭が点前をつづけながら、
「順庵さんなら、よお存じております。わてからも文を添えておきます」
久兵衛は、は、はぁ・・・ と深く低頭した。
忠真公が茶を飲みほして、
「そちは、用心棒に根岸ナニガシを同伴するようだな」
「め、滅相もないことでございます。根岸様は先輩で、一羽流の達人で、黒田藩きっての使い手です」
「常盤橋の決闘で橋から落ちた根岸兎角の子息だとな。橋から落ちて、どこにどう逃げのびたか、いつの間にか長政公のもとで黒田藩の指南役になっておった。臨機応変、縦横無尽な剣客で、その息子となら、おもしろそうだな」
茶道頭が久兵衛に茶碗を差し出して、
「順庵さんとこには柳生十兵衛様がときに顔をお出しになります」
久兵衛は茶碗を引き寄せて、一礼して、
「十兵衛様は昨年お亡くなりになったと聞きましたが」
「そうですな、そのような、うわさがひろがっておるようで」
忠真公が茶碗を茶道頭に戻して、
「死んではおらんよ。久兵衛、そちも黒田忠之公から勘気をこうむり浪人したことになっておるではないか、それがこうして、茶を飲み、官費で遊学しておる」
茶道頭が忠真公にもう一服点てながら、
「世の中には、はばかられることが多いようで、偽りも方便ですかな」
「徳川幕府は柳生新陰流を御流儀と定め、柳生藩主は将軍家の剣術指南役として定府するが、今後、幕府は江戸柳生の師範を各藩にあまねく送り込む所存と思われるな」
茶道頭が新たな一服を差し出して、
「十兵衛様は、はじめ家光公に小姓として仕えておられましたな」
忠真公が茶碗を取りながら、
「小姓として仕え、主君の勘気に触れ出仕停止となり、まるで久兵衛と同じだな」
久兵衛が驚いたように、
「家光公の勘気を蒙って、というのは実は公儀隠密として働くための偽装であると」
忠真公が笑って、
「それでは久兵衛、そちは、みずから正体を白状しておるではないか」
久兵衛は困り顔で、
「大名取り潰しで浪人の数が増え世情を不安にしております。元和元年以来、三代家光公までに、外様大名八十二家、親藩・譜代大名四十九家が改易されて居りますが、公儀のご所存と今後の指針を探る間諜が役目と心得ます」
平成三十一年四月十九日