ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

エッセイ教室に提出した原稿はこんなだった。

栄西と為朝と定秀                   中村克博   

二〇騎ほどが丘陵の道を駆けていた。草地に背の低い灌木の林が見え、所どころに手入れの行き届いた畑が点々としていた。東の空に昇り始めた大きな朝日が溜池に輝いて、空は晴れわたり、さわやかな西風が吹いていた。登りつめた丘の草地で騎馬の隊列は北の海を向いてひとかたまりになった。どの馬のくつわからも白い息が勢いよく出ていた。遠く、風の方角に対馬の山並みがうす明るく広がって見える。
「叔父上、対馬ですね」
 行忠は為朝の馬に鞍をよせ遠くに目を細めて小さく言った。
「うむ、近いのだな。その先は高麗だな」
「もうしばらく進みますか、先駆けが指図を待っております」
「いや、もうよい。もどろう」
 行忠は半町(五〇mあまり)ほど先にいる二騎に戻るように合図した。その時だった。たえが目ざとく灌木から出てくる動くものを見つけた。
「あれは、猪ではありませんか」
「猪ですね。壱岐では見かけないのですが、それも朝方に・・・」
 ちかが、こたえて不審そうに見つめていた。間もなく先駆けの二騎が駆け戻ってきた。
「猪は四頭、まだ子供のようですね」
 たえが、ちかに話していると、犬が吠える声がした。犬は数頭いるようだ。
「親が出てきました。親は一頭だけ、大きいですね」
 ちかは為朝が行忠に何事か話すのを見た。すぐさま、行忠は一〇人の配下に下知した。一〇騎は獲物に向かって横一列に並んでゆっくり五間(九m)ほど進んで止まった。すでに弓には矢がつがえてあった。弓は一斉に放たれた。弦音(つるおと)が鳴り終わると猪親子には放たれた矢が深々と二本ずつ刺さっていた。五頭はその場に横たわった。
犬の声が近くなった。三頭の犬が灌木の林から出てきて唸りながら倒れた猪に噛みついた。すると親の猪が大きな体を身震いして起き上がり犬を一頭突き上げて灌木の中に駆け込んだ。二騎がすぐに後を追った。それを見てちかが馬を走らせた。灌木の向こうは岩の多いけわしい斜面になっているのを知っていた。
二騎は灌木の林を回り込んで駆けていたが徐々に走りをゆるめて斜面を下りようとしていた。ちかが追いついた。灌木の先は、ごつごつした岩と大きな石の混ざった砂礫の斜面に草がまばらに生えて海辺まで続いていた。一騎が砂礫に足をとられて斜面に横向きになった。咄嗟に乗り手は馬から下りて手綱を緩めて腹帯をつかんでいた。
「そちらは危のうございます。こちらへお戻りください」
 ちかが斜面の足場を選びながら下りてきた。鞍の後ろに体をうつし鐙(あぶみ)にほどよく足をかけて、動きは馬に任せるようであった。行忠が手綱をしぼって斜面の上から様子を見ていた。ちかの下りていくのはけもの道だった。狭いが踏み固められていて砂礫は流れない。ほどなく二騎はちかの後ろについてきていたが一騎は馬に乗らずに手綱をひいていた。
「いかがいたしましょう」
行忠は為朝の判断をまったが叔父の表情は変わらず切れ上がった眼差しはおだやかだった。口元がゆるんで行忠に何か言いかけたとき、芦辺の五騎が次々に斜面を下りはじめた。二騎は細いけもの道を残りの三騎は岩場をかまわず下りて行った。それを見た行忠は為朝に黙礼して、みなに留まるように下知して五騎のあとから駆け下りていった。いや、駆けるつもりはないのだが馬が足の運びをつまらせて前に出ざるを得ないようであった。馬はけもの道を外れて砂礫と岩の斜面を滑るように駆けるように下っていく。行忠の体が鞍の上で飛び跳ねるようであった。為朝は配下の騎馬に動かないように伝えて変わらない表情で斜面でおきる出来事をながめていた。手負いの猪に三頭の犬がからまっているのが見える。猪はうずくまって動かず、ときおり奮い立って頭を低くした。
「あっ、行忠様が・・・」
 不意に、たえが驚いたような声をだした。為朝は行忠の姿が突如と消えた砂礫の方を見ていた。ちかが異変に気づいて馬のきびすをゆっくりかえした。巧みに手綱をさばいて砂礫の斜面を注意深く横に移動しているのが見える。猪を追った二人の武士は騎乗の一人が近くから一矢を放った。猪は首に止めの矢を受けて前足から崩れ落ちた。三頭の犬が飛びかかった。
斜面を下りていく芦辺の五騎はたえの後を追い岩陰に入っていった。ちかは馬から下りて左膝をつき横たわっている行忠の左側から顔をじっと見つめていた。芦辺の五騎は馬を下りて二人を少しへだたりをおいてとりかこんだ。
「どこが痛みますか」
ちかは行忠の左手から弓をそっとはずして、その手首を左の指でかるくつかんだ。
「右手首が、指が動かせません」
「そうですか、頭は痛くありませんか」
「頭は痛くありませんが、吐き気が少し・・・」
「動かないでください。しばらく、もようをみます」
 為朝は騎馬のままで斜面をながめていた。岩陰のようすはうかがえないが、とりあえず二騎を共につけて、たえを芦辺の館に帰すことにした。
「丁国安殿が心配しておいでであろう。先に帰って皆にこのことをお伝えください」
「はい、・・・行忠さまは、大丈夫でしょうか」
 為朝はたえに無言でうなづいて、二騎の者に先をせかせた。たえは前後を騎馬武者にはさまれて丘陵を芦辺の方に下って行った。為朝は砂礫の斜面を下りることにしたが騎馬のままでは心もとないので下馬を命じようとしたとき、岩陰から騎馬が現れて砂礫を上って来た。体を鞍の前に移動して馬の首にふれるばかりに巧妙に人馬が一つの生き物のように上って来る。
「行忠様の怪我は右の手首を痛められたごようすで、他には別状なく、これより浜辺まで下りて道を変え館までお連れいたします」
 声の届くところに、たどりつくと芦辺の騎馬武者は、息切れもなく大声で伝えた。馬が傾斜面を上り終えると大声の武士は為朝の前に馬を進め、これより芦辺の主人に事の経過を報告するために先に出かける了解を求めた。


「行忠さま、も少し強く、ちかの体におつかまりください」
「面目ありません。婦人の尻馬に乗せてもらうなど」
「ちかの体は重くありません。私の馬は二人乗っても大丈夫ですよ」
「私の乗り馬の怪我のぐあいはいかがでしたか」 
「右の前足首を多少痛めておりますが骨折もなく、しばらく休ませて芦辺の一騎がのちほどつれてまいります」 
「それは、恐れ入ります。私は吐き気がしたので、頭を打ったのかと懸念いたしました」
「頭は打っておられると思いますが、吐き気は手首の骨折の痛みからのようです」 
「吐き気が、痛みのせいとは、はなはだ、みっともない」
「ははは・・・あ、いえ、そのような、平時の怪我は痛いのではありませんか」
「平時ですか、そうですね。平時がいつまでも続けばいいですね」
 ちかの長い髪は紙ひもを巻いてきつく束ねてあったが、風が当たるたびに幾すじか行忠の顔にかかり、ほのかな香りがした。くすぐったいが、わずらわしいとは思わなかった。それより、両腕をちかの胴にまわしているが、手首を痛めた右腕に力が入らず手首はちかの足のつけ根の近いところに落ちた。そのたびに激痛が走り頭の芯まで痺れるようだった。
「昨夜はあしべの館にお泊りになるのかと思いました」
「なぜですか、為朝様は月読神社をこのたびの陣営にしておられます」
「そうですが、父が、なにとぞと、お引止めをして夕餉の支度もしておりました。父母があのような申し入れをした後ですから、わたくしは覚悟しておりました」
「そうですか、やはり、そうでしたか」
 そう言いながら行忠は、ちかの体にまわした右腕をそっと引いた。折れた手首は腕から指のつけ根まで手巾をまき、矢を適当に切りそろえ添え木にしてあるが袖口に隠れていた。五本の指は太く腫れあがって黒ずんで、右手が下がると痛みがますようだった。 
「行忠さまは、なにも聞きおよびではありませんか」
「はい、存じませんでした。しかし為朝様は鎌倉と争うことはのぞまれません。世が治まり国がおだやかなことをのぞんでおられます。栄西様もそのためにはたらいておられます」
「えっ、なぜですか、為朝様が壱岐においでなら松浦勢からの圧迫もなくなるのでは」
「そうかもしれませんが、いずれ大きな争いを招きます。九州で昔からの勢力がまとまって、しまいには鎌倉方との戦になります」
「なんと、では、なぜに父母はあのようなお願いを・・・」
「人は自分の見えるかぎりしか見えません。よかれと思ったことが願わぬ事態をまねくのはそのためです。それゆえに栄西様がうごいておられます。」
 言い終えると、ずきずきする右手を、ちかの胸元にある左手の親指と人差し指の間でささえた。

芦辺の館に行忠の一行がたどり着くと、みんなが待ち受けていた。栄西が行忠の右手首の具合をみて判断を下した。これよりすぐに小早船で博多に向かい博多に住まいする宋人の名医の手当てを受けることになった。西文慶は八丁だての小早船を用意するよう家司(けいし)に命じた。風も北西のいい風だった。日暮れ前には袖の港に入れる。船には水夫十二人のほかに芦辺の武士が二人と為朝の配下の武士が二人乗り込む手はずだったが、丁国安が船足を早くするために水夫は十人、武士は一人も乗せず栄西が乗ることを提言した。然りと栄西は快諾した。
「私もお供いたします。あちらで看病するものがいります」
 ちかが、がんとして言い張った。
「それは、かたじけない。さすれば傷の癒えるのも早まりましょう」
 栄西があたたかな眼差しで西文慶夫婦の方を見た。
「そのようにしていただければ叔父の私も安堵いたします」
為朝は嬉しそうに切れ長の目じりを下げていた。西文慶は戸惑いながらも承諾するしかなく、妻の顔を見ながら何度もうなずいていた。

「行忠さま、うれしゅうございます。月読さまのおはからいです」
行忠は甲板に寝かされ高い空のおぼろな雲を見ていた。腹の上の手首が疼いていた。船は波に乗って滑るように走り風は北西の追い風、日差しはあったかかった。ちかは体裁も気にかけず行忠の左手をにぎり右手を首の下において胸に顔を近づけそっとのせた。       
                                平成二十三年十月一七日