ブログを体験してみる

はてなダイアリーの創設時期からブログを体験してみようと書きはじめてながい年月が経過した。

第二、第四日曜日の午前中は八木山で居合の個人稽古。

福岡藩伝柳生新影流の免許皆伝、藤田先生から

江頭先輩と一緒に特別指導を受けている。

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柳心会の大濠道場で稽古した技のおさらい稽古がつづく、

八木山の朝もまだまだ暑い、道着は汗だくになる。

僕のヨガ教室を使っているので床が居合には不似合いだ。

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藤田先生は元気だが高齢で足元がおぼつかない、

ヨタヨタしながら八木山まで出向いてくださる。

見ていただく時間を無駄にできない。

 

 

 

昼から、家のまわりの野の花を写真にした。

午前中はお茶の稽古だった。

茶室がカビだらけ、掃除に一時間以上かかった。

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稽古相手の従兄弟は、なんだか難しいお点前を稽古していた。

つづきおうす、とか言うらしい。茶入と棗が一緒にでている。

僕はまだ濃茶を間違えてばかりいる。

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昼からのヨガ教室は休みだった。家のまわりの花を写真に撮ってまわった。

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最近は携帯のカメラばかり使っている。それで十分だからだ、が、

今日は一眼レフのズームレンズを使用した。

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夏のあいだは花が少ない、そろそろ秋の花が出始めている。

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白い花は何と言うのか、さっき妻に教えてもらったが今は忘れた。

今年はナンテンの実がたくさんなっている。冬にはにぎやかだろう。

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もうすぐ仲秋の名月だそうだ。

百日紅がまだ夏の暑さを連れているようで、今日も蒸し暑い。

一時間ほど歩き回って帰るとベランダのジャスミンが咲いている。

 

午前中はエッセイ教室だった。

先月は第五週目があったので、一週間しか余裕がなかった。

時間が無い方が分かりやすい文章になる気がする。

 

 

貝原益軒を書こう  11                中村克博

 

 

 根岸は翌朝、藩の定宿でさわやかに目覚めた。昨夜の出来事は何事も別段のことは無かったように朝餉を済ませて小笠原の藩士たちと一緒に関船に帰って来た。久兵衛と甲板の上で顔を合わせると部屋には戻らずに水主たちの作業を見ながら話をしている。小笠原の関船は薩摩の船を待たずに出航するよう準備をしている。風も航海にはほどよく東の低い朝日が仙水島の山陰から海を黒々と輝かせている。甲板から鞆の浦の街が鮮やかに見えている。

久兵衛は目を細めて、

「そんなことが、あったのですか。それで、助かった一人はどうしたのでしょうね」

「拙者が持ち合わせていた銀を巾着ごと渡したが、捕まればそのことから繋がりが露見しないかと危ぶんでおる」

「巾着の根付に特徴がありましたから、それは迂闊でしたね。路銀は足りるでしょうが、しかし、どこに、どうやって行くのやら」

「歩いて行くのだろう、おそらく大坂だろう」

「大変でしょうね。無事にたどり着けばいいが」

「急な船出になったが、薩摩の船は待たずに、受け取るはずの荷物はどうなるのだろうな」

「薩摩の船は福山藩の管轄の外に出ることが先決のようですね」

「しかし、荷物の受け渡しをしなければ、小笠原も薩摩も互いの役目が果たせぬだろうに」

「身どもが聞いたところでは、天領倉敷の南、丸亀藩の近くにある本島の湊にはいるようです」

「なるほど、その辺りは幾つもの藩境が入り組んで、おるでな」

 

西備讃瀬戸に浮かぶ大小合わせて二八の島々は塩飽島(しわくじま)とも呼ばれ、「しあく」とも読む。戦国時代には塩飽水軍(しわくすいぐん)として名高い。徳川家康から安堵を受けた御用船方は人名と呼ばれ、人名株により世襲され、政務は人名の中から選ばれた四人の年寄が勤番で執る自治が行われていた。 

 

 いくつもの大小の島を右舷左舷に交わしながら順調な航海で、丸亀藩に近い本島に着いたのは日没前のまだ海は明るい頃だった。湊に何艘かの廻船が碇を下している中に、薩摩のジャンク船はひと回りも大きく姿も異形で、すぐに目についた。前日から待っていたようだ。夕餉の用意か、釜戸を焚く煙が船からなびいていた。近くを通り過ぎると関船よりもはるかに大きい船であることが分かった。ジャンク船の上から大勢の琉球人か薩摩人かが関船を珍しげに見下ろしている。

 小笠原の関船が停泊すると、薩摩のジャンク船から艀が差し向けられて武士が五人乗船して来た。小笠原の武士たちが慇懃な作法があるよに出迎えて甲板下に案内した。根岸は五人の薩摩武士の顔を注意して見ているようだった。

 久兵衛につぶやくように言った。

「昨夜、手合わせした武士はいなかったようだ」

 久兵衛は当然だろうと、あの船には乗っていまいと思ったが、

「そうですか」と言った。

 

 間もなくもう一隻の艀がいくつもの甕を届けて来た。薩摩と琉球の酒のほかにも南国の果物を挨拶土産にとの説明があった。黒砂糖やほかの交易品の積み込みは明日の朝からになるようだ。

 

 根岸が昨夜を思いだすように、

「薩摩の示現流は切り込むときに発する裂帛の気合いは猿叫(えんきょう)とか、鶏の絞められる声などに例えられる独特の気合いだが、昨夜の薩摩の武士は無言であった」

 久兵衛は思い当たるように、

「それは、事件を他に悟られぬよう気づかったのでしょうか」

「そうだと思う、気合を止めて力は出ぬ。それに、奄美の若者が咄嗟に前に出たのも気を削がれたのだろう」

 久兵衛は話を合わせるのが務めと、

示現流は、初太刀から勝負の全てを掛けて斬りつける『先手必勝』の鋭い斬撃が特徴であると聞いております」

「もう一度、いや、またして、あのような使い手とま見える場合どうすべきか修練せねば危ういな」

「薩摩者と勝負する時には初太刀を外せと言うのではありませんか」

 根岸は嘆息するように、

「それは誤解である。示現流にはいくつもの連続技がある。風聞通り初太刀に特化した薬丸自顕流なども、野太刀と疾走による打ち込みは凄まじく、初太刀を受けること自体が相当の手練がいる」

 久兵衛はそれ以上この話にかかわれなかった。

令和元年九月十二日 

山椒の実が赤く色づいている

六角堂のまわりの草刈りをした。

月に一度、朝の二時間ほど会社の営繕から一人手伝いに来てくれる。

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草藪になっていた手洗い場もきれいになった。

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山椒の実が赤くなっていた。

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八木山は山椒が自然にあちこち生えてくる。

佐賀県立博物館で貴重な体験をした。

佐賀県立博物館に出かけて愛用の肥前刀、忠吉を鑑定してもらった。

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月曜日で休館だった。裏口で係の人が待っていて資料室に案内された。

博物館には肥前刀が400振りか500振りか大量に保管管理されているようだ。

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見本に数振り用意してあった。いろんな時代の忠吉も手に取って観賞できた。

初代のなかごは晩年の作になると肥前国住武蔵大掾藤原忠弘と打てあるようだ。

僕の五字忠銘、肥前国忠吉は五代忠吉の特徴を見本のように表現しているらしい。安心した。

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僕の和泉守兼定も観てもらった。相州系統は専門ではないけど、

と言いながら鉄が新しい、江戸、元禄のころの作かもと言っていた。

二時間あまり、箱島先生についていって、貴重な体験ができた。

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先週の日曜日、孫娘のピアノ発表会にいった。

 

きょう金曜日は午前中、エッセイ教室だった。

 

 

貝原益軒を書こう 十                   中村克博

 

 

 帳場の方から人のやり取りがボソボソと聞こえてきた。声をころした話しかたがよけいに気を引いて根岸は耳をそばだてた。若者ではない落ち着いた武士の声と、しわがれた女の声だっだ。根岸の下にいる女が、揚屋の女主人とのやり取りだと言った。間もなく狭い廊下をせわしく足音が近づいてくる。歩幅の小さな摺り足が襖の外にとまった。荒い息づかいで、

「おねえさん、このような場所柄で慮外だとはじゅうじゅう承知しておりますが」

一息ついて、

「おおごとが起きて、どうしていいか」

 根岸はすでに女から離れていた。手早く身づくろいをしながら二人の女のやり取りを聞いていた。土地の言葉はよくわからなかったが意味はおおむね理解した。床の敷物や酒器を端によけ襖から畳一枚さがり正座して刀を左に置いた。女が長襦袢の袖に手を通しながら根岸をうかがった。

「おはいり」と女が言った。

 襖が開いて少女が入ってきた。髪は短く切りそろえ目の大きな色の浅黑い年の頃まだ十四にはなるまいあどけない顔をしていた。立ったまま後ろ手に襖をしめて、ぺたんと座った。

「どうしたの、何が起きたの、落ち着いて」とさとすように言った。

 少女は座りなおして、

「それで、薩摩のお侍様が、船から逃げて来た者を差し出すようにと、おかあさんは、そんなものはおらんと、言いあって」

 少女に顔を寄せて小さな声で、

「それで、島のおじさんたち二人は、いまどうして」

 少女は根岸をちらりと見て、小声で、

「二階の布団部屋に」

 

 根岸はいまだに事態がよくは呑み込めないでいた。この揚屋奄美大島の遊女上りの女将が切り盛りしている。ここの遊女たちも禿たちも奄美大島から身売りして来た娘ということだ。そこまでは承知しているが薩摩の武士がなぜ男二人を追っているのかわからない。この揚屋には一階に帳場と厨房、客の部屋が三つか四つ、それに女主人と禿たちの生活の場がなどある。二階の様子は分からないが、客室が五つ以上はありそうだ。客の部屋はほぼ満席のようだ。布団部屋は二階にあるのだろう。そこに船から逃げて来たという島の男が二人潜んでいて、薩摩の武士がそれを取り押さえにきたらしい。 

 根岸が今日の夕方、小雨の中を関船から屋形の艀に便乗して鞆の浦の湊に上ったのはふた時ほど前のことだ。小笠原藩の定宿で夕餉を済ませ、気心の知れている藩士に外出したい事情を正直に説明すると有名な遊郭を避けて頃合いの揚屋を教えてくれた。あたふたと一人で宿を抜け出してきているが宿の門限までには帰らないとまずいことになる。

 

 女が根岸の方に向きなおって、

「こんなことになって申し訳ありません。奄美の身内のおじさんが薩摩の侍に追われています。昨夜おそく疲れ切った二人がここに逃げ込んで来ました」

 根岸は黙って聞いている。女は根岸の顔を見て問わず語りに話をついだ。

「その晩は体を休め、路銀をいくばくか渡し今日の夜が深まるのを待って夜明け前に鞆の浦を抜け出す手筈をしておりましたが・・・ 私のおじさんたちは捕まれば拷問されます。そして島の人たちも罪もないのに連座で斬り殺されます。飢えた島では多くの子供たちが、いいえ、私の妹の乳飲み子も、出ない乳の代わりに重湯を飲ますこともできません。自分たちが作った黒砂糖を子供が舐めても親子ともども酷いお仕置きをされるのです」

 女はそこまで話して根岸の反応をみている。根岸は無表情で聞いているが目は遠くを見つめるようだった。場末の揚屋であっても福山藩公認の遊郭であれば薩摩の武士も勝手に立ち入って部屋を検めることはできまい。事を荒立てることはできず船番所には届けもしていないはずだ。帳場にいる薩摩武士は一人のようだが、恐らく目立たぬように裏口にも手配しているだろう。通りにも数人潜んでいるかもしれない。

 女の両目から涙があふれて流れた。両手をついて根岸を拝むように、

「お武家様、お願いでございます。おたすけください」

 根岸はどうすべきか、思案してもわからない。

 すると女は鏡台の引出から布にくるんだものを出してきて根岸の膝の上に置いた。

「これはお返しいたします」

 先ほど根岸が渡した花代のようだがその何倍もの小玉銀だった。

「お願いでございます。おたすけください」

 女がにじり寄って根岸の腰に縋りついた。胸のふくらみが、乳首の感触が手の甲にふれている。顔をうずめたままで女が覚悟したように言った。

遊郭で刀を抜くことはご法度、まして武士の喧嘩は両成敗、切腹でございましょう。二人を連れ出しても薩摩のお侍は手出しができません」

 根岸は考えることをやめた。

「あいわかった。布団部屋の二人を呼んでまいれ」

 女が顔を上げた。女は少女に向きなおって目で言い付けた。少女はすぐさま階段を駆け上がって行った。根岸は立ちあがった。銀の小粒が膝からばらばらと落ちた。

 女が座ったままで、

「どのような算段ですか」と問うた。

 根岸は応えず刀の下げ緒を束ね、刀を左手に持って廊下に出た。人の気配のある帳場の方に歩いて階段の下で待った。すぐに少女が下りて来た。続いて旅の羽織を着た身なりのいい初老の男が菅笠と振り分け荷物を下げて、その後からこざっぱりした旅姿の若者が風呂敷で巻いた道中差を右手に持って下りてきた。二人の出で立ちは旅行中の商家の主人と手代といった格好を装っていたが憐れなほどに表情と仕草がそぐわないのが一目で見てとれた。

 部屋から出てきた女が根岸の後ろから、

「私が玄関の方で騒ぎます。そうすれば裏の見張も表に急ぐはず、頃合いを見て裏口から出てください」と小声だがきっぱりと告げた。

 根岸はやさしく説き伏せるように、

「無用なことをいうな、理合は時の運に及ばぬものだ」

 根岸は少女に、先を案内して履物の用意するように言った。帳場の前で薩摩の武士が女将とにらみ合っている傍を根岸は歩きながら軽く頭を下げ通り過ぎた。女将は驚いた様子だが切迫した気持ちを隠して愛想を取りつくろった。

「お帰りですか、ありがとうございました」と言って三人の後を追って来た。

 薩摩の武士は答礼して上目遣いに後ろの二人を見咎めた。

「あいや、待たれよ。お尋ねすることがある」

 根岸は無視して歩きながら、『敦盛』の一節を呟くように謡いはじめた。

「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり、一度生を享け、滅せぬものの~~」

 口ずさむ抑揚はでたらめだが屈託ない微吟が玄関に向かう。その後を旅装束の二人と女将が続いた。薩摩の武士は一瞬たじろいだが、人を食ったような根岸の吟詠を見て、それが不安を隠そうとしているものと解した。薩摩の武士は、腰の刀の鍔元を握って小走りに根岸の前に躍り出た。

「またれよ。後ろの二人に用向きがある」

 根岸がにっこり笑った。

「ここは遊郭でございます。抜けば切腹です。外は雨も上がって月が出て、船の上なら定めも外れ海にも出られましょう」

 薩摩の武士は了解したように玄関を出た。根岸は少女が用意した履物に足を通した。旅姿の二人は草鞋の紐が結べない。指がかじかんだように震えていた。女将が手伝った。通りで待っていた薩摩の武士が歩きはじめ、外に出た三人は後に従った。新たな薩摩の武士が二人背後にいた。ほどなく路地に入った。六人が一列に並んで通るほどの道幅で月明かりが届かない暗闇だった。潮風が通り抜けた。路地から出ると広場になっていた。波除の石垣堤防がある。その先は海のようだ。波の音が近い。

 先頭の薩摩武士が立ち止まって向きなおった。

「ここらでよかろう。二人を渡していただこう」

「ならぬ」根岸はにべもなく言った。

「ならぬとはいかに、先ほどの言は欺くためか、おぬし卑怯な奴だ」

「卑怯かどうか、試してみるがよかろう」

 詮方なしと薩摩の武士は腰の刀を左手で外に捻りながら柄を下向きに腰を沈めた。右手を柄に添え瞬時動きを溜めて、

「一時の慰み女に立てる義理はなかろう」と言った。

「義理はなくても交わした情がある」と応じた。

 薩摩の武士は這いつくばるような低い姿勢で斬り上げるようにゆっくり抜刀した。刀の柄を右のこめかみの高さに、刃先を真っ直ぐに立てて構えた。足を大きく開いて膝が着くほどに低い。そのとき後ろにいた旅姿の若者が根岸の右横に並ぶように出てきた。なんと、風呂敷から出した道中差を抜きはらった。手放した鞘が転がり虚ろな音がした。正眼に構えた若者が根岸の前に出た。根岸は咄嗟に体を右に大きく移したが薩摩の武士はかまわず低い姿勢のまま体ごと左右に半身、半身と体を入れ替えながら進んで一撃した。若者は左首の根元から右の脇腹まで体が二つになるほど斬られて前のめりに転がった。すかさず刀を返し根岸に斬り込んだ。根岸はひと足踏み込んで横一文字に抜刀し左足を大きく引いて峰で腰骨をしたたか打ちつけた。薩摩の武士は体勢をくずしても、さらに切り込んできたが根岸は軽く祓い右手首を打った。骨の折れる音がして刀が落ちた。

 控えていた薩摩の武士が二人、先ほどと同じように下から斬り上げるように抜刀した。二つの動きがまったく同じだった。刀の柄を右のこめかみの高さに、刃先を真っ直ぐに立てて構えた。足を大きく開いて膝が着くほどに低い。と、そのとき声がした。

「お前たちの手に負える手合いではない。引いて死人を運べ」

 根岸を見て、

「恐れ入った。無念だが詮方ない。旅人を連れていかれよ」と言った。

 根岸は一礼して刀を収めた。この薩摩の武士は腹を切るのだろうと思った。

                             令和元年八月二九日